今や誰しもが知る「ポルシェ」
世界一のブレーキを持つといわれ、ドイツの至高ともいわれるブランド
そんな「ポルシェ」はどうやって生まれたのか。
フェルディナント・ポルシェの生い立ち
「フェルディナント・ポルシェ」は1875年9月3日、
オーストリア帝国の北ボヘミア地方(現在のチェコ)
マッフェルスドルフ(現ブラティスラヴィチェ・ナド・ニスウ)で
ブリキ職人の家に生まれました。
幼少期から機械に強い興味を示し、父親の仕事を手伝う傍ら、
独学で電気の実験を行うなど、将来の天才技術者としての素質を見せていました。
自動車への夢と挫折
1900年にウィーン工科大学の聴講生となりましたが、すぐに退学し、
電気機器会社に就職。その後、電気自動車の開発に携わり、
1906年にダイムラー・ベンツに技術部長として入社しました。
レーシングカーの開発などで活躍しましたが、
1928年に経営陣と対立して退職を余儀なくされました。
ポルシェ社の設立と国民車の開発
1931年、シュトゥットガルトに「ポルシェ設計事務所」を設立
自動車の設計コンサルタントとして活動を開始しました。
1933年にはヒトラーから国民車「フォルクスワーゲン」の設計を依頼され、
空冷水平対向エンジンを搭載した革新的な小型車を開発しました。
戦時中の活動と戦後
第二次世界大戦中は軍用車両や戦車の設計も手がけましたが、
戦後はフランスで労働力搾取の容疑で逮捕・投獄されました。
1947年に釈放された後、
オーストリアのグミュントで息子フェリーと共に初代ポルシェ356の生産を開始しました。
1951年1月30日、75歳で生涯を閉じましたが、その功績は後に
「20世紀最高の自動車設計者」
と評価されています。
フェルディナント・ポルシェの人生には、夢と挫折、そして再起の物語が凝縮されています。
彼の情熱と革新的な発想がポルシェブランドの礎となり、今に受け継がれているのです。
いかがでしたでしょうか。
昔の人は情報がない中で、独学で知識をつけ成長していたですね。
現代では情報がいくらでもとれる時代ですが、
自分自身の答えを見つけるため、自身で動いてみては…?
ぜひ感想等ありましたら、コメント残していただけると幸いです。
それではまた次回の車の歴史にてお会いしましょう‼